AIと共存する社会Society 5.0。オフィスでも共存が進み、ある日会議の主役はAIに。
「ヒトとAIがリプレイスされる日」は、こんな風に突然やって来ます。AI Bossシリーズ第4弾。
目次
1、頭痛のタネは「全国会議」
会議には、ヒトの二面性に翻弄される構造的な特徴があります。表向き、淡々と進んでいるように見えても、裏ではヒトの「思い」が交錯し、激しい駆け引きが行われていることも。また、組織独自の「お作法」や「暗黙のルール」も存在します。
会議参加者には、高いコミュニケーション能力や総合力が試されます。本社の会議に「支店代表」として参加する気苦労も絶えないでしょう。
ところで、このエピソードでは「AI担当者」に代表を任せています。AIワーカーのロジカルな論理展開に期待する反面、「AI相手に論戦は避けたい」との気持ちが働いたのでしょう。
彼らには、遠慮・暗黙のお約束・組織のお作法などは通用せず、論理的かつデジタルに正論で勝負してきます。「容赦なく論破されるかもしれない」と危機感を抱いても不思議はありません。ここで「メンツ」を潰される訳にもいかないでしょう。
今回は「AIワーカー」を引き合いにしながら、最近増えている「行儀のいい会議」がもたらす弊害や、ヒト本来の「持ち味」、更に「無駄が生み出す創造性」について考えてみます。
2、行儀がいい会議が増えている!
①会議の基本:時間こそ貴重なリソース
会議は参加者の「人数分の時間」を消費して行うため、貴重なリソースに見合った効果を短時間で導く必要があります。
このため ①会議の目的 ②到達点 ③使える時間を参加者全員で共有し、話を脱線させない意識を持つことが会議の基本です。
ところで、「働き方改革」と相まって、無駄を減らそうとする時短意識も浸透してきました。以前に比べ、会議の質は確実にグレードアップしています。
互いの貴重な「時間」を認識し、脱線しないよう気を配り、ゴールに向かって議論する。ファシリテーターの腕も上がってきた成果でしょう。
②予定調和な会議のワナ
ここまでは教科書通り、会議の「あるべき姿」です。ただ…
時おり、妙に「行儀が良すぎる」ような違和感を感じます。どうしてこんなに淡々と進むのか?
「参加者の発言に無駄が無く、かといって予想を裏切るアイディアも無く、最後まで隙間なく議論が続き、淡々とゴールに到達する会議」に感じる違和感を紐解くと、次のような本音が透けてきます。
「働き方改革」が浸透する一方で、効率化と時短意識がもたらした副産物は、①波風を立てず(本質には踏み込まず)②適度な議論を演じ、③ほどほどの結論を導くことが、いわゆる「効率の良い会議」にすり替えられている、といったところでしょう。
「建て前」に終始する会議に、現場の「実態」や「本音」は登場しません。
特段のハレーションもなく、いつも「予定調和な結論」が導かれているのなら、核心には踏み込まない「役者」が揃っている証拠。組織にとって間違いなく危険な兆候です。
3、ヒトの持ち味 vs AIの持ち味
①ヒトの持ち味?
ヒトのような無駄な発言、矛盾した論理展開は「AIワーカー」には皆無です。彼らは、私たちが発言する度に
・主旨との適合性:30点
・主張の一貫性:20点、・論理性:15点!
等と点数をつけ、内心ニヤッとしているのかも。いちいち心が折れそうですね。また次のような「ヒト」の行動は、彼らには理解できません。
・感情的な発言(非論理的な発言)
・態度を表明しない、どっちつかずの発言
・脱線、論理の飛躍、話の蒸し返し
・不平・不満・愚痴(フラストレーションの解消)
・「含み」を持たせた言い回し
・「本音」と異なる発言
こうやって羅列すると反省すべき事が多い。ただ、一概に否定すべきでもありません。
なぜなら、理詰めで語らないのは「無能だから」ではないからです。本来、ヒトが円滑にコミュニケーションする為、進化の過程で身につけた「高等テクニック」であったハズ。
つまり「いき」で「いなせ」な美意識は、私たち「ヒト」に受け継がれた大切な文化であり「持ち味」でもあるのです。ただ、ビジネスライクではありませんが。
②AIの持ち味?
AIワーカーに、遠慮・暗黙のお約束・組織のお作法などは通用しません。
(厳密に言えば、理解出来ないわけでなく、私たちが「AI」に抱く勝手なイメージを上手く利用し、知らないふりをしている)
その上で、論理的かつデジタルに、正論を展開してきます。
加えて、ヒトなら表立って議論しない「暗黙」な話題でも、包み隠さず、容赦なく表舞台で議論するでしょう。
・支店ごとの評価、存続の可能性、切り捨て時期
・社員の能力やキャリアパス(使えるヤツ・使えないヤツ)
・顧客の品定め(おいしい客・おいしくない客)
これを平場でやられたら、ヒトは身も蓋もありません。
江戸時代から私たちに息づく「いき」で「いなせ」な美意識は、「無粋」との謗り(そしり)を意に介さない「AIワーカー」の前では、歯が立ちません。
4、AIにリプレイスされる日
このエピソードでは、AI担当者に支店代表を任せています。
彼のロジカルな論理展開に期待する反面、「AI相手に議論は避けたい」との気持ちが働いたのでしょう。それもそのはず。
・ヒトは、知識量・情報量でAIにかなわない
・ヒトは、ロジックでAIに太刀打ちできない
・ヒトがもつ遠慮・配慮・暗黙の了解や作法は通用しない
・ヒトが包み隠したい情報も正面から議論する
AIとの議論は「価値観」や「美意識」を持たない相手に、違う土俵で勝負するようなもの。
こうして、支店の代表者はすべてAI担当に。こんな風に「AIにリプレイスされる日」は、ヒト自身の思いで、ある日突然やって来ます。
5、ヒトの真骨頂/無駄が生み出す創造性
こんな書きっぷりだと「ヒトには無駄や矛盾が多い」=「ヒトは非効率でビジネスには不向きである」と短絡的に捉えられそうですね。
「ヒト」は元来、表と裏の顔を持ち、一筋縄にいかない複雑な存在。会議にも「遊び」や「無駄話し」など、一見非効率でも、若干の「余地」が残されている方が心地良いと感じる生き物かもしれません。
そしてこの無駄な「余地」こそが、ヒトが「創造性」を生み出す「余地」でもあります。
飽きるかも…
すごいアイディアを生んだりする
これぞ「ヒト」の真骨頂!
「ヒト」が「飽きる」のも能力だ!
6、ビジネスライク→AIライクの宿命
現代のビジネスは、収益向上と効率化を追求し、持続可能な事業運営を前提とします。そして、これを命題とする限り、ヒトが「ビジネスライク」を追求する先には、皮肉にも「デジタルライク」→「AIライク」な世界が広がっているのです。
「ヒトがAIにリプレイスされた」パラドックスな光景は、現代ビジネスの前提条件から導かれる必然でもあります。
「AI」は、「ヒト」のように本音と建前を使い分け、発言に「含み」や「余地」を残したり、私情を挟むこともありません。物事をデジタルに評価し、容赦なく判断するため、ビジネスの目指すところと合致します。
さて。ヒト特有の複雑な「感情」や「思い」の類は、今後どう評価されていくのでしょう?
7、まとめ
・会議には「二面性」をはらむ構造的な特徴がある。見かけの進行とは別に、激しい駆け引きが行われていることも
・参加者には、高いコミュニケーション能力や総合力が求められる
・会議の質は向上したが、同時に「行儀が良すぎる」違和感を感じる
・働き方改革が浸透する一方、本質に踏み込まず、適度な議論で「予定調和な結論」を導く会議が横行。効率化とすり替わっている
・ヒトが理詰めで語らないのは、円滑なコミュニケーションの過程で身に付けた美意識であり持ち味。ただし、ビジネスライクでないため、AIには理解出来ない
・AIのロジカルな論理展開には期待できるものの、価値観が異なる彼らとの論戦には消極的
・ビジネスライクはAIライク。AIにリプレイスされる日は、現代ビジネスの前提条件から導かれる必然
・無駄に見える議論から「創造性」を生み出す能力はヒトの真骨頂